「35年分の手帳」

 平成18年11月1日





“自分の歩いてきた一日一日を克明に記す。”
リアルタイムに手帳に書き進める。10年後から読み返しても
解るように記してきた。この集積が人生だ。


「英雄は街に在り!」

 平成18年8月22日

「高山さん、人生で一番悲しいことって何か識ってますか?」
上品な白髪の80数才のおばあちゃんがお箸を止めてニコニコし乍ら
私に問いかけてきました。二人での楽しかった夕食もぼつぼつ終わりに
近付き、酒も2〜3杯交わしたし、ユッタリとした楽しい雰囲気の最終楽章です。

「何だろう…??? 子供の死かナ、身内の死かナ…???…」
狐につままれたように考えを廻らせました。しばしの間の後、さりげなく
「高山さん、食事の時間に食べものの無い時の悲しみが解りますか!?」・・・・・

「ガツーン!!」私は脳天を割られたような強烈な衝撃を受けました。
この上品な、脹よかな、柔和な、常に微笑みがこぼれているこのオバアちゃんの
過去に、そんな苦しさが在ったのか…!

敗戦後の我国は衣食住のすべてが破壊され皆滅し、食べ物も無く、貧困のどん底を
生き長がらえていました。彼女の夫は売上げ金を持って逃げた。幼い3人の娘さんを
抱えて塗炭の苦しみの中、バアちゃんは頑張ったのだナ…。しかも在日韓国人としての
差別を受けながら…。
きっと狭い部屋に幼い娘達と卓と茶碗を囲んで、子供に食べさせるべき物が無い…
三人の幼い子がひもじいと私の方に向いている。何でもいいから一品でも与えたい…。
だが何も無い!(きっと何度もあった事だろう。)若い母親の茫然自失した姿…。
この悲しさ、解りますか?!・・・」
この上品なお顔の過去にこんな歴史を歩み抜けてこられたのか…!!
脳天は割られたままであった。
こんな過去を背負って、生き抜いてきた人が居たのだ・・・。彼女こそ英雄なのだ。
そしてこの平安なお姿が出来上がっているのだ。

 自宅迄送り、玄関に消えられた後も低頭した頭をいつ迄も上げることが出来なかった。
 「英雄は街に在り!」


「素晴らしかったある保育園の卒園式!」

 平成18年9月4日

多くの会合に出席するがある保育園の卒園式には毎年心を揺さぶられる。
先ず、保護者代表が切々と幼な児の成育に対する感謝が述べられる。
「朝早く0才児を保育園に預け、泣き叫ぶ我子の姿に後ろ髪を引かれ乍ら
仕事場へ急いだ。」又,他の年では「幼な児を預け、何故こんなにしてまで
働かねばならないのか」とトイレに入って泣いた日が続いた続いた、と語られた。

その卒園式のごあいさつが続く時、保母さん達の泣き声は号泣に変わっている。
園児を我が子同様に育ててきた0才から6才迄の数年間の思い出が、走馬灯のように
懐古されているのだろう。

粛々たる式の進む中、出席者の全てが子供への想いを軸に感極まっている。会場は
とても感動の交流の渦がまいている。在園児の器楽演奏に卒園児がホールを去る。

ホールには言いえぬ感動が残る。そして茶話会に移り園長先生がさりげなく言われた。
“この園児等の人生の成否は私達にかかっているのです。0才児から6才児まで預かるの
ですから…。”

聞き乍ら名園は凄いナァ・・・

心から感動する重い、責任感溢れた一言であった。










企画・運営:高山博光後援会事務所